ユリイカ11月号の

特集「マンガはここにある」で、斎藤環先生が「あずまんが大王」について書いてました。物語世界を揺るがすような事件や事故は起こらず物語駆動エンジンとしてあくまで会話を採用したこと、そして男子キャラをフィーチャーしないで恋愛ドラマを周到に排除して女子生徒の同性集団だけを描いたこと、こうしたことで多種多様で繊細な関係性を前景化することを可能にした、というようなことを述べています。そして斎藤先生自身、こうした細やかな関係性に「萌え」たのかもしれない、という告白には非常に頷いてしまいました。というのは僕自身「萌え」というものを感じることがいまいち出来ない人間で、「あずまんが大王」のキャラたちに感じている感覚がたとえば「萌え」なのか?というすがり付くような思いを抱えていたからです。僕が持っている感覚と斎藤先生が持っている感覚は、確かに似ている。それを「萌え」と呼んでらっしゃる以上、僕もたしかに「萌え」を感じられ人間と一応認定してもいいでしょう。非常に安心しました。