今野緒雪『マリア様がみてる』シリーズ コバルト文庫

あまりにも界隈で『マリみて』『マリみて』と騒がしいし、コミケでもスペース取り過ぎだし。まあ一冊くらい、と軽い気持ちで手にとったんですが、この3日間ほど読み続け、現時点で「パラソルをさして」を読了したところ。合計、11冊。つまり、見事なまでにハメられてしまいました。いい歳をして、しかも男である自分が、まさかコバルト文庫に熱中してしまうとは・・・
この小説の魅力は挙げればキリがなくなるくらいありそうですが、とりあえず、その前提条件として物語世界の解像度の高さというものがあるのだと思います。淡いグラデュエーションではなく、輪郭のくっきりしたモザイク状の世界を構成すること。そのために正確な計算を行って、巧妙に仕掛けを配置した時点で、物語をどう展開しようとこの小説の成功は約束されていたはずです。
たとえば、物語が中心的に展開される「薔薇の館」。住人である3人のカリスマティックな生徒会役員「紅薔薇さま」「黄薔薇さま」「白薔薇さま」、そしてその「つぼみ」と「妹」たち。主人公・裕巳は、ここで様々な関係性を生きることになります。同じ先輩であっても直系の「紅薔薇さま」と「白薔薇さま」「黄薔薇さま」との接し方は異なるし、「つぼみ」においてもそれは同様です。あるいは、直系の先輩であっても「紅薔薇」との接し方と「紅薔薇のつぼみ」との接し方は異なってくる。通常の「縦」「横」の関係と、薔薇制度の「縦」「横」の関係が交錯し、こうした公的な次元において裕巳が接する世界は明確に差異化されています。この周到な準備の下に、私的な差異、つまりキャラクターの性格などの特徴が、これまた多種多様な仕方で配置される。この公的な差異と私的な差異が縫い合わされる地点で、登場人物たちはそれぞれ異様なまでにキャラ立ちしてくるのです。こうした世界を分節化する仕掛けが随所に散りばめられています。
どのキャラクターに憧れ、萌え、ハアハアしようと、全てはこの解像度の高さの為せる技。そして読者は、裕巳の視点を借りて、こうして実現された色鮮やかな世界と関係することで、繊細かつ強烈な刺激に次々と襲われることになります。僕は読みながら「うひゃあ」とか「うっぎゃあ」とか叫びながら何度も身悶えしていますが、なんというか、身体のあちこちの突っ突かれているような気がしてなりませんでした。
月並みですが、関係性のめくるめく落差を楽しむという、いわゆる少女マンガの魅力というものを最大限に生かした小説であるということができると思います。ところで、「あずまんが大王」も関係性を楽しむ漫画だったと思うのですが、正直、較べものにならない位の繊細さと強烈さがあります。「あずまんが大王」以上ともいえるこうした世界を、女性のみならず(オタクの)男性も普通に楽しんでいるという状況が現れてきたということは、やはり何か示唆的なものがあるような気がしました。

そんなことよりですね、「志摩子×乃梨子」は最高ですよ。コミケが楽しみ・・・