ジョルジュ・バタイユ『宗教の理論』ちくま学芸文庫

宗教を<内在性>への回帰の試みとして考えるという視点は珍しくないような気がしますが、そのプロセスの説明がとても面白いです。人が普段生きている非―自己=<事物たちの世界>、これはそもそも道具によって与えられた手段=有用性の面の世界であり、目的も、主体すらもその面の上に定置されている。したがって、事物の手段としての性格を全的に破壊する=消尽することで、<内在性>が回復され、手段も目的も、私も世界もない<至高>を生きることができる。そのプロセスこそが、供犠であるとバタイユは述べています。こういった、疎外を生み出した原理、疎外から脱出する原理が明らかになっているのが、この本のいいところなんでしょう。
宗教体験の原理論としては、かなり体系的で、スリリングです。バタイユなんて初めて読みましたが、そんなに難しくもないです。ヘーゲル精神現象学と、コジェーヴのその解釈を下敷きにしているそうなので、その辺りも齧ってから読むと、もっといいのかもしれません。僕はどちらも詳しくないので、分かりませんが。ただ、僕としては、なんか違うなあと思ってしまいました。単純に、私も世界もないのだ、という生は僕は嫌いです。やっぱりどこかに<他者>が居て欲しい。面白かったけれども、とても不安になったし、そういう自分のスタンスを強く再確認させられてしまった本でした。
それにしても、この手の本ってのは大いにグラグラさせられてしまうので、どうも苦手です・・・。